先に4月に開業した渋谷ヒカリエに東急シアターオーブがオープンした。初回はブロードウェイからやってきた“ウエストサイドストーリー”。初日から全席満員という人気。音響効果も素晴らしい。生憎席は2階席の最後部であったが、楽しく観覧した。字幕も縦に掲示されるので内容もわかりやすい。席はかなりの急こう配になっているので、どの席でもよく見えるが迫力ある演技はやはり1階席前半分であろう。
2012年7月20日金曜日
2012年7月9日月曜日
「七坪の農園」たより 2012.07.09
待望のとまとの初採り。昨年は病気にやられたが、今年は何とか実った。通常は5段まで花が咲くが今年は3段程度。花数が少なくしたがって実も少ない。だが太陽で熟されたとまとは生産者でなければなかなか味わえない。うまい!
2012年7月8日日曜日
ツキミソウ
私の知っている月見草は黄色の花が咲くオオマツヨイグサか、昼間街路樹の根元に咲いているピンク色の昼咲きツキミソウでした。
今度頂いた月見草は開花時は純白の花で午後7時頃咲き、夜半頃よりピンク色に変わり始め、朝方にはピンク色をしています。萎むときは赤色です。あまりの変化に驚いています。
種を頂いて鉢に5月頃植えました。
ツキミソウ(月見草) 花弁は4枚で白色の花 背丈は20~30cm アカバナ科 マツヨイグサ属 Oannothera tetraptera Cav.
今度頂いた月見草は開花時は純白の花で午後7時頃咲き、夜半頃よりピンク色に変わり始め、朝方にはピンク色をしています。萎むときは赤色です。あまりの変化に驚いています。
種を頂いて鉢に5月頃植えました。
ツキミソウ(月見草) 花弁は4枚で白色の花 背丈は20~30cm アカバナ科 マツヨイグサ属 Oannothera tetraptera Cav.
2012年7月6日金曜日
本“被災地三陸をたずねて”女川・南三陸・気仙沼の今
先日の三陸旅行を一冊の本にしました。本にも書きましたが、やはり自分の眼で確認することが一番だと感じました。みなさんもどうぞ一度、三陸にお出かけください。
下記で本の内容が確認できます。
http://www.photoback.jp/f/2615841206282021560/1FA4C225/
下記で本の内容が確認できます。
http://www.photoback.jp/f/2615841206282021560/1FA4C225/
2012年6月24日日曜日
2012年6月20日水曜日
被災地三陸・気仙沼を訪ねて
【6月17日】 3日目
泊まった志津川の民宿のご主人に送ってもらって、気仙沼行きの振替輸送バスに乗る。ミヤコーという地元のバス。途中、本吉という駅に10分ほど停車。駅舎はあるものの閉鎖。待合室とトイレは解放されていた。ここでバスの運転手に話を聞くことができた。通学の生徒はいるものの、電車の乗客は少ない。元の電車が復活されるのは難しいのかも知れない。 気仙沼に着くと同行者の友人が車で迎えてくれた。気仙沼の街は助かった店と破壊された店とが混在していた。港に着くと大島行きの連絡船が停泊していた。魚市場も再建途中で仮設で業務をしているようだ。港から離れてしばらく行くと、土台のみ残した広々とした荒地の先に大きな船があった。見渡しても海は見えない。こんなに大きな船が来るはずのない津波で運ばれたのであろう。震災から15ケ月余も経ったのに生花が手向けられていた。
泊まった志津川の民宿のご主人に送ってもらって、気仙沼行きの振替輸送バスに乗る。ミヤコーという地元のバス。途中、本吉という駅に10分ほど停車。駅舎はあるものの閉鎖。待合室とトイレは解放されていた。ここでバスの運転手に話を聞くことができた。通学の生徒はいるものの、電車の乗客は少ない。元の電車が復活されるのは難しいのかも知れない。 気仙沼に着くと同行者の友人が車で迎えてくれた。気仙沼の街は助かった店と破壊された店とが混在していた。港に着くと大島行きの連絡船が停泊していた。魚市場も再建途中で仮設で業務をしているようだ。港から離れてしばらく行くと、土台のみ残した広々とした荒地の先に大きな船があった。見渡しても海は見えない。こんなに大きな船が来るはずのない津波で運ばれたのであろう。震災から15ケ月余も経ったのに生花が手向けられていた。
予定していなかった車(同行者の友人)での移動でしたので、陸前高田まで案内してもらいました。ここの松原は1本を残して全滅です(正確にはもう1本ありましたが枯れたようです)。ここを国定公園にして松原を再現する計画も動いているようです。破壊された松の木は高く山積みされていますが、引き取り手がないようです。自衛隊が作った防波堤の向こうには穏やかな海と碧い空がありました。
被災地三陸・志津川を訪ねて
【6月16日】 第二日目
南三陸町・志津川 二日目は女川から代行バスに乗り渡波(わたのは)から電車に乗りました。前谷地(まえやち)で乗り換え(1時間52分待ち)柳津(やないつ)に着きました。ここからミヤコー振替輸送バスで志津川を経由して歌津(約1時間)に着きました。着いたところは土台跡のみ残る商店街の真ん中。200メートル位の所が防波堤(高さ1メートル位)ここはぽっかり口を開け、大きな黒い土嚢でふさいでありました。後ろを振り返ると高さ10メートル位の高台に歌津駅があります。街を襲った津波は、ここを...超えて線路を破壊しました。ホームはかろうじて残っていました。ここの商店街の人たち数人で復興商店街ができていました。復興商店街にある観光案内所の世話で志津川(10キロ以上ある)の民宿のご主人が迎えに来てくれました。
南三陸町・志津川 二日目は女川から代行バスに乗り渡波(わたのは)から電車に乗りました。前谷地(まえやち)で乗り換え(1時間52分待ち)柳津(やないつ)に着きました。ここからミヤコー振替輸送バスで志津川を経由して歌津(約1時間)に着きました。着いたところは土台跡のみ残る商店街の真ん中。200メートル位の所が防波堤(高さ1メートル位)ここはぽっかり口を開け、大きな黒い土嚢でふさいでありました。後ろを振り返ると高さ10メートル位の高台に歌津駅があります。街を襲った津波は、ここを...超えて線路を破壊しました。ホームはかろうじて残っていました。ここの商店街の人たち数人で復興商店街ができていました。復興商店街にある観光案内所の世話で志津川(10キロ以上ある)の民宿のご主人が迎えに来てくれました。
軽トラックに乗せてもらい、志津川に着き、志津川の被災地を案内してもらいました。とにかく相当広い志津川の街は何にも残っていません。防災センターの鉄骨がむなしく赤茶けた鉄骨をむき出しにしています。その前にはたくさんの花が今もありました。志津川の港の瓦礫の山。これは海に広がったものを回収したものと思われます。港にある建物は廃墟のままでした。
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